ラファエロの死,没500年

4月6日はラファエロ・サンツィオの命日。彼は1520年4月6日に37才の若さで世を去ったので2020年の4月6日はちょうどラファエロ死没500年を記念する日ともなっている。16世紀の伝記作者としても有名なバサーリによると、『ラファエロは15日間の熱病の後に亡くなった。それは過度の恋の病であった。』

ラファエロは1483年のこの同じ復活祭の時期、VENERDI SANTOと呼ばれる復活祭前の金曜日に生まれたとされている。これは無罪のイエス・キリストがゴルゴタの丘で磔になった事を記念する日である。故郷のウルビーノ公国の宮廷画家であった父から手ほどきを受けていたラファエロは、1508年にはローマ教皇からの招きでバチカンのラファエロの間の制作を依頼されるにいたるほどの才能を示していた。当然のことながらこの若くして幸運な青年は、多くの女性問題を抱えていただろう。実は知り合いの枢機卿からの勧めで姪のマリア・ビビアーナとゆう高貴な女性と婚約をしていたのだが、実際に彼女と結婚することはなかった。

ラファエロが本当に愛した女性は貴婦人や枢機卿の姪ではなかったのである。彼はパン屋の娘、マルゲリータ・ルーティを愛していたのだ。その女性の裸体を描いた絵が、ラファエロが死んだ後に発見された『フォルナリーナ』つまりパン屋の娘と呼ばれる作品で、ローマのバルベリーニ宮殿に保管されている。その中で座って薄いベールを手に持つ彼女のジェスチャーは、まるで古典のビーナスの女性的な神性を思わせる。ここでラファエロは自分のサインを彼女の腕につけたバンドの上に書き入れているが、これは正に彼女への愛の表明であろう。近年のX線による調査で、背景にはモナリザのような開放的な景色が描かれていたことが判っている。ラファエロはこの太陽の光を浴びたビーナスのごとき神聖を、この惑星の自然界の中で堂々と描きたかったのである。さらに彼女の左手の中指にはルビーの指輪が描かれていたことも判明している。女性が左手に指輪をするのは昔から男性への忠誠と信頼、そしてその絆を表しているのだそうだが、なぜここでは中指なのか。今でもヨーロッパの北の方には婚約指輪を中指につける習慣を持つ地域があるのだそうだが、本来は三位一体を表す三本の指の直ぐ側にある薬指につけるものではないのか。又この薬指には、古代から心臓と繋がる愛の動脈が通っていると信じられていた。ここから学者たちの間で、ラファエロはこのマルゲリータ・ルーティと秘密の結婚をしていた、という憶測が生まれたのだ。

 

なにはともあれ、500年前の4月6日ラファエロは、自分が生まれたと同じVenerdi Santoの日に生涯を閉じた。彼が死んだ部屋の壁には彼の遺作となった『キリストの変容』が置かれていた。バサーリはその時の事について、『人々は、ラファエロの死と、彼の生きた作品を目の前にして、深い魂の痛みを爆発させずにはいられなかった』と述べている。

ラファエロの死は当時の教皇庁にも大きな衝撃をもたらした。又それは、ルネッサンスと呼ばれているある時代の終わりをも予告する事件となった。

著者:  原井シュウジ

 

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